華ひらく
日本の百貨店初となるオリジナル包装紙「華ひらく」が誕生したのは1950年。元々はクリスマスプレゼント用としてデザインされましたが、翌年から三越全店で常時使用が開始されました。
丸みを帯びた柔らかな抽象形が幾度にも集う斬新なデザインは画家の猪熊弦一郎氏の手によって描かれました。
シンプルでありながら包むものを引き立てるデザインは半世紀を超えて現在に至るまで三越のシンボルとして愛されつづけ、日々贈り物を丁寧にお包みしながら、三越が培ってきた伝統や信頼と共にお客様のもとへお届けしています。
「華ひらく」の原画は平面ですが、物を包んで立体になったときの表情の変化も魅力のひとつです。
「どのような大きさでも、どの角度から見ても、図案の美しさが変わらない」という画期的なデザインは、それまで茶紙が主流だった百貨店の包装紙を一変させました。
波にも負けずに
頑固で強く
「華ひらく」のモチーフが生まれたきっかけはふたつの石でした。
猪熊氏が千葉の犬吠埼を散策中、海岸で波に洗われる石を見て「波にも負けずに頑固で強く」「自然の作る造形の美しさ」をテーマにしようと考えたことが始まりです。
戦後、これからの時代は包装紙も自分をアピールするような強いものでなければならないとの理由から、鮮やかな朱一色の「スキャパレリレッド」が用いられました。そして当時三越宣伝部の社員で後に漫画家となるやなせたかし氏により「mitsukoshi」の筆記体が書き入れられました。こうして完成した「華ひらく」はその作品名にふさわしく、商品を包むと花がひらいたようにパッと雰囲気を華やかにさせ、多くの人へ笑顔を運んでいます。
包装紙を考案する過程で制作された型紙と原画は今でも大切に保管されています。クリスマスギフトとして作られたデザインは特別な贈り物を包むのにふさわしい賑やかな表情が印象的です。
このように時代と共に変化する価値観を超えてスタンダードであり続ける力を持つデザインとして、2019年度に「グッドデザイン・ロングライフデザイン賞」を受賞しました。
猪熊弦一郎
1902年、香川県高松市に生を受けた猪熊弦一郎氏は幼少期から絵の才能を発揮し、1922年に東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学。1938年に移り住んだパリでは、アンリ・マティスと交流し、同時期に滞在していた藤田嗣治との親交は帰国後も続きました。1955年から拠点をニューヨークに移し抽象画の世界へ。現地では当時のアートシーンを牽引する芸術家達とも交流を深め、川端康成や三島由紀夫も自宅に訪れました。「華ひらく」のような抽象的な表現を始め、多くの作品を生み出しました。また猪熊氏独自の審美眼で収集されたおもちゃや日用品も存在し、その膨大なコレクションは世代を超えて今なお注目を集めています。
MIMOCA
Marugame
Genichiro-Inokuma
Museum of Contemporary Art
1991年「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」が開館。正面には猪熊氏の巨大な壁画「創造の広場」やオブジェの設置されたゲートプラザがあり、その伸びやかなファサードは、駅前広場と内部空間をゆるやかに結びつけています。設計は建築家の谷口吉生氏が手がけ、猪熊氏との対話によりアーティストと建築家の理念が細部に至るまで具現された建築となっています。
やなせたかし
1919年、高知県に生を受ける。1947年三越に入社し、宣伝部でグラフィックデザイナーとして活動する中で、包装紙「華ひらく」が誕生しました。三越退社後は漫画家・絵本作家・詩人として活躍し、絵本「アンパンマン」シリーズの発表で幅広い世代から支持を集めました。
華ひらくのひろがり
2016年に行われた「瀬戸内国際芸術祭2016」では、「華ひらく」を用いてアートと瀬戸内を掛け合わせた取り組みを実施しました。四国新聞のラッピング広告や高松丸亀町壱番街前ドーム広場のモニュメント、そしてホンマタカシ氏との協業による写真展の開催などのプロモーションを通じ、半世紀以上前の作品を現代の人々へ新しい価値として提案しました。
オリジナル商品制作では、包装紙柄としてだけではなく、衣食住全般に渡り、プリント、サンドブラスト、焼印、刺繍など様々な手法で「華ひらく」を再解釈しながらプロダクトに落とし込みました。誕生から現在に至るまでのストーリーを含め、「華ひらく」という作品の新たな側面を伝える取り組みとなりました。